人生の考え方

自己分析をするべき5つの理由

自己の発見は幸福につながります。これは、僕自身が自己分析したことでわかったことだし、たくさんの本に書かれていることなのです。

ぼくはだいぶ、人生に対する迷いがなくなってきました。

もちろん、日常的な迷いはいくらでもあります。
今日の朝飯はどうしようとか、どういう道を通って図書館に行こうか、とか。

でも、そのような日常的なことではない、
もっと人生の本質的なところについては、迷わなくなったのです。

 

そのせいなのか、以前にプログラミングスクールに無料で通えるチャンスがあるということでSkypeにて面接してもらったんだけど、面接官の方に「なんでそんなに自信あるの?」とナゾにおこられてしまった。。。(おこられてこわかった、本当に。)

 

では、なぜ人に怒られるくらいに自信がついてしまったのか。

それは、メンタル強化系の本を読んだことと、自己分析をしてきたから、です。

このうち、メンタル強化系の本については、後日ブログに書きます。

今回は、自己分析について、話します。

 

自己分析をする前までは、どうやって生きていけばいいのか漠然としており、
いちいち迷っていました。

高校や大学の志望校、部活の選択。

そのような人生に関わる選択を、ぼくは一切の軸を持たずに決めていました。

ですが、自己分析によって、自分の軸と運命への対処法、さらには覚悟が固まり、動じることがなくなりました。基準が決まると、どういうふうに人生を対処していけばいいのか、わかるようになりました。

今でも自己分析は続けています。自己というのは、外界との相互作用によって絶えずゆらぎ、進化していくので、自己分析もそれに合わせてやり続けています。(と、かっこよくいってみたけど、本当は単に自己分析が趣味みたいなものだから。ぼくの場合、「自分」の長所を発見し、磨くことに幸福感があるから。)

ところで、自己分析すると何がいいのか。ぼくの経験と本からの引用とともに、以下にまとめます。

あ、紹介する本はどれもオススメです。

 

人生から迷いをなくすため

今の時代、無限に選択肢があると考えていいでしょう。

大学生で言えば、「IT企業に入ろうかな」「いやいや、公務員のほうがいいんじゃ」「大学院進学しようか」「そうなると、どこの研究室に行けばいいんだ」
などなど。人生えらび放題であることは、苦痛でもあるのですね

「自分とは何か」がわかっていないことは、航海図やコンパスといった方向をしめすものなしに太平洋をわたりきれ、といっているようなものです。

ぼくはそういった航海図やコンパスをもたずに大学生までは生きていました。

「どの高校にしよう」

ぼくが中学生のとき、もう本当にテキトーに志望校を決めてしまいました。そう、なにもやりたいことや想い、つまり自分軸がなかったからです。

今になっては「まあ、いいか」となっているのですが、とてもギャンブルな選択をしたな、とおもっています。

自分が「イヤだ!」とおもうような高校に行ってしまっていたらどんなに苦痛だったことか。コワイ。

 

また、大学受験のときは、「自分が本当に大切なことはなにか」がわかっていなかったために、ムダに浪人しておわってしまいました。

高校受験と違い、大学受験のときはちゃんと自分のやりたいことは分かっているつもりでした。

しかし、当時は自己分析していませんでしたので、自分はなにを大切にしているのかメイカクなっていませんでした。

そのため、浪人しても「いや、なんか違うな」となってしまい、予備校に入る前に決めた志望校を目指すことにやる気がしなくなってしまい、結局センター試験の点数は現役のときとほぼ同じでした。

なにやってんだか…。

しかし、大学生になり、自己分析をしっかりすることで、「もうクヨクヨすることはないな」と意識が変わり、ムダに迷うことを避ける生き方をできています。

チクセントミハイ『フロー体験とグッドビジネス』ではこのようなことが書いてあります。

クリスティン・コマフォード – リンチは、キャリアについて考えている青年にどんな アドバイスをするかと聞かれたとき、こう答えている。

自分自身を知ろうとする方針を取ることをほんとうに心から強調したいですね。もしそこからはずれ、自分が誰なのか、また何を信じてよいのかということがわからないと、一生道に迷ってしまいます。間違った人と結婚し、間違いもたくさん犯してしまいます……。それが問題なんです。そ してある日、二〇歳か五〇歳か九○歳かわかりませんが、目が覚めて、「ああ、これはほんとうに うまくいっていないよ」となるわけです。なぜもっと早くそのことを学ばないんでしょうか。人々 は自分自身との関係を発展させようとせず、自分が信じる何か精神的なものとの関係も発展させようとしません。世のなかはほんとうに混乱しているかもしれません。こういう類のよりどころがな ければ、どうやって正しいことをするという希望をもつつもりなんでしょうか。どんな種類のより どころも築いてきていないので、何が正しいことなのかを知るよしもないですし……またそれがなければ、他にはんとうに重要なものは何もありはしません。


 

人生の浪費を避けるため

自分にとって不幸なことや不得意なことで精神がすり減るのは、せっかく生きているのにもったいないと、ぼくはおもっています。わざわざ精神を悪化させるようなことをするくらいなら、死んでしまったほうがラクでいいでしょう。

 

ぼくの場合、小学校3年生のときはイヤイヤでドッチボールに参加していました。ただ、みんなが参加していて、自分だけ参加していないとなにもやることがなくて面白くないから、という理由だけで。

でも、やはりイヤイヤでしたので、まったく面白くないわけです。なんなら、ドッチボールのコートのすみで、コートの線に沿って砂をもって山をつくるという遊びをしていました。(みなさん、ぼくに気をつかってか、ドッチボールのコート内でしゃがんでコートの線上にずっと土を盛るぼくを当てませんでした。)

また、小学校4年生のときからサッカーを習わされました。体験でサッカーの練習をしに行ったつもりが、いつのまにか親に入会させられていた感じです。土日のいずれかに3時間練習があるのですが、ぼくはいつも時計をみて「あー、まだ終わらないのか」とか考えていました。練習開始から1.5時間たつと、「お、あと半分でおわるぞ!」とうれしくなっていました。

いやー、本当に苦痛でした。というか、運動すべてがイヤで苦痛でした(ただし、走ることは別。とくに技術を必要としないから。)

ということを早くに自覚していればよかったのですが。。。

 

中学生のときはソフトテニス部に入りました。その理由は単に「友達がやっていて、なんか面白そう」だからです。

ここで私は、3年間の苦痛に耐えることになりました。土日は両方とも3時間の練習で、小学生のときに練習していたサッカーと同じく、1.5時間たつといつも「よし、あと半分でおわる」とうれしくなっていました。

 

高校生になって、もうテニスはやだなーとおもっていたのですが、父から「中学でやっていたことを続けたほうがラクでいいよ」と言われて、なにも考えずにまたしてもソフトテニス部を選んでしまいました。

本当になにしてんだって感じです。イヤなものを続けるとかアンタはドMかってところです。

ただ、高校生でやったソフトテニス部では、中学生のときと違ってポジションを変えました。ボールがコワイので。ネットに張り付く前衛から、打ち合いを主にする後衛にポジションを変えたんですね。

ポジションを変えたことでマシになったかと言われるとたしかにマシになったんですが、やはり運動はイヤでした。

 

大学生になって、ようやく部活なるものから開放されました。

で、大学生でなにをしたのかというと、またしても運動系のサークル-サイクリング部-に入りました。

これは、体験入学のときに「ロードバイクたのしい!」と感じたので、今度の運動は大丈夫だろうとおもったのです。

でも、それは半年で幕を閉じました。やはり、運動はイヤでした。

後にぼくは「運動するよりも、本を読んだりして一人で考えることが好きだ」とわかり、大学1年後期からは運動系のサークルには属さず、一人で本ばかり読む生活をすることになりました。

「本を読んだりして一人で考えることが好き」ということを、自己分析してもっと早くから気づいていれば、小学生のときから時間をムダにすることはなかった。もっと幸福な道を歩めたのに。たとえば、高校のときは科学部に入ったりして。と、いまでは強くそう感じています。

再び『フロー体験とグッドビジネス』から引用します。

オペラに合った声をもっていないのにオペラ歌手になりたいとか、目と手の連携動作に優れていないのにメジャーリーグのバッターになりたいと思うのは、ほとんど意味のないことである。血を見るのが耐えられないのに医師や獣医になりたいと思うのも、時間をかけるだけほとんど無駄なことである。これらは明確な結論だが、どれほど多くの人が、現実を無視して自分の手の届くところになかったり、たとえ手が届いても楽しめないような目標を求めているかということは、驚くほどである。 

 

また、ショーペンハウアー『幸福について』からも引用しておきます。

個人的特性は私たちの力ではどうにもならず、神の掟によって生じ、生涯を通じて変わることがない。
(中略)
この点において自力でできる唯一のことは、「今の自分は何者であるか」を最大限に活かすことであり、したがってそれにふさわしい熱心な企てのみを追求し、それに 合った修業の道にはげみ、わき目もふらず、ひいては、それにぴったりした地位や仕事や生き方を選ぶことである。
ヘラクレスのように頑丈な、並はずれた筋力に恵まれた人が、外的事情に迫られ、座業、細々した綿密すぎる手仕事に従事させられ、あるいは、まったく別種の、持ち合わせていない能力を要求する学問や頭脳労働をさせられ、そのためにかえって、彼の卓越した能力を活かせなければ、彼は一生不幸な思いをするだろう。しかしまた、
知的能力に圧倒的に秀でた人が、知的能力を必要としないありふれた仕事や、彼の体 力では十分にこなせない肉体労働をさせられ、彼の知的能力を伸ばすことも発揮する こともできなければ、それよりもっと不幸な思いをするだろう。とはいえ、この点について特に青年時代は、ありもしない能力を過信することからくる危難を避けるようになさい。


自分軸を固めて継続的な努力ができるため

手を広げすぎて、結局なにもできない人生で終わるなんて、むなしい。ぼくはそうおもっています。軸(目標)を決めて、それに沿って人生を追求したほうが、前に進んでいる感覚があるから、充実感があるようにおもえるのです。

 

受験勉強なんてそんな感じで、志望校を決めて、それに向けて努力するから充実感があるのです。

ぼくが大学受験生だったときの話をします。

現役だったとき、ぼくは天文学者になりたいとおもっていました。そのためには、勉強意欲が高い人に囲まれて勉強して己を高めたい。そうおもって、旧帝大を狙いました。

ですが、失敗。ただ、旧帝大を目指していたとき、とってもとっても努力をしました。

現役で行けるところに行くか、浪人して勉強意欲が高いであろうレベルの高い大学を再び目指すか。すごく迷いました。学校の先生に頼り、一度は現役で行こうと決めました。

しかし、「せっかく旧帝大をねらっていたのに、このまま終わってたまるか!!」と、風呂に入りながらもえあがる感情をおえきれずに泣き、そのままレベルを落とさずに旧帝大に突進しました。

ですが、やはりセンター試験の点数が圧倒的に足りず、さらには入試中にワケワカラン問題が出まくってパニックになり、頭が真っ白に。死亡。浪人することに。

だが、しかし。

浪人しているときに、「レベルの高い大学に行かなくても、本質は研究したいということだから、べつにどの大学行っても研究室変わればいいだけじゃん」ということに気がついてから、やる気はなくなりました。なぜそれに気がついたのかと言うと、ぼくが目指そうとした大学よりもはるかに学部教育のプログラムが良い大学をみつけてしまい、「あ、この大学いいね」「こっちもいいね」と精神が分裂してしまったからだとおもっています。

「自分にとってなにが大切なのか」がわかってないと、ぼくのように精神が分裂して、沈没します。

ああ、なんてもったいない浪人時代だったのだろう。もっとはやくに自分軸を固めていれば、こんなことにはなかったであろうに。。。

ぼくは小学生のときから、ずっと勉強するようなタイプの人間でした。でも、そこには目的がなかった。勉強するよりも、「なぜ勉強するのか」を決めて、進路をえらぶべきだった。

再び『フロー体験とグッドビジネス』から引用します。

他のどのようなこととも同じように、注意力を管理するには、両極端のことのバランスを保てないればならない。ある人々は興味の範囲が非常に狭いので、周りで起こっていることにほとんど気がつかない。そのような 専門分野には非常に熟達するかもしないが、生きている世界はひどく狭いので、遅かれ早かれそれが与えてくれる機会を使い切ってしまうことになる。また、どんなことにも注意を向け、何百という未解決の問題を追いかけ、どんな問題も完全に理解することはできず、どんなスキルを身につけることもできずに、精神エネルギーをめちゃくちゃに浪費する人もいる。
このような極端なことを避ける一つの方法は、化学と平和の分野でノーベル賞を獲得したライナスポーリングによって使われた戦略である。彼は精神エネルギーの使用についてつぎのように述べている。

数十年にわたってつくり上げてきた、心のなかにある一種の宇宙に関する一般論ですが、私には一つのイメージがあります。もしある記事を読んだり、誰かがセミナーの話をするのを聞いたら、あるいは何か他の方法で今まで知らなかった科学に関する情報を知ったら、「それはどうしたら私の宇宙のイメージにぴったり合うだろう」と自問します。そしてもし合わなかったら、「どうしてぴったり合わないのだろう」と問うのです。

ボーリングの言葉は複雑な意識の働き方の上手な説明である。人は長期にわたって育まれた「一般論」(あるいは核となる価値観、またはビジョン)をもってスタートし、その後、その理論を支持するものでも、異議だろうと、すべての関連情報をそれに統合する。このようにして、独自の見通しを維持しつつ、つねに関係の輪を拡大しながら、安定した基盤から成長し続けるのである。

幸せを外部ではなく、自分自身(内部)に求めることができる

お金や高級車、学歴、役職といった自分の力だけではどうにもならない外部の事物に幸か不幸かのよりどころを求めると、自分の人生がどうすることもできない物事に左右されてしまい、精神が常に不安的になってしまいます。これだと、良き人生とは言えないとぼくは考えます。

強みや成長といった、自分内部のから生み出される”財産”に価値をもとめることで、まわりにに左右されない人生となります。これで、幸か不幸かを自分で決めることができるので、安定した幸福をもとめることができます。

ショーペンハウアー『幸福について』から引用します。

その人がどんなものを所有しようとも、他人の目にどう映ろうとも、 そうしたすべてよりも、あきらかに彼にとってはるかに重要なのは、「彼自身にとって彼は何者なのか」ということだ。それこそ、孤独のなかで彼に寄り添い、何人たりとも、与えることも奪うこともできないものである。

 

人生の幸福にとって「自分は何者なのか」、すなわち、その人の身におのずからそなわるものこそ、一貫して第一の、最も重要なものである。なぜならそれは恒常的で、いかなる境遇においても有効であり、さらに他の二項目における財宝のように運命に屈することもなければ、私たちから奪い取ることもできないからである。

 

好きなこと・強みを磨くことは、成功するにあたっての必要条件

高校生のときのぼくは、数学が好きでした。でも、古文がとっても大ッきらい。よって、定期テスト勉強では、古文は徹夜で暗記し、数学ばかりテスト対策していました。よって、数学の先生にほめられていました。古文のほうは、赤点2連続とったりして、まあ。。。

とことん嫌なことはやらない性格です。

でも、好きなことはとことん磨いたからこそ、誰よりも抜きんでることができたのです。

 

森岡毅『苦しかったときの話をしようか』から引用します。

20年も生きてきたのなら、君の強みは必ず好きなことの中にある。ここまでの成功は、君の強みによってもたらされてきたのだ。さらにそれはこれからの長い人生でも続く。会社が 給料を払っている対象は、君が人知れず弱点克服のために費やしている努力ではない。会社がお金を払っているのは君の生み出す業績であり、その業績は君の強みから生まれるのだから、会社が買っているのは君の”強み”なのだ。それがわかったら、年収を上げたいなら、”強み”を伸ばせ!キャリアで成功したいなら「強み」をもっと磨け! すべては強みを認識することから始まるのだ。 

 

この社会で結果を残す優秀なプロと呼ばれる人々は、もれなく「その道で努力を積み重ねることができた人」であって、その正体は「努力できる好きなこと」を見つけられた”発見の成功者”なのだ。内面の声をよく聴いて、面白いと思える職能を見つけて飛び込み、その中で働きながら世界を拡げていく、そして更に夢中になれる要素を見つけ出していく。好きなことを見つけさえすれば、実はアリのようにはしんどくないのだ。


 

アンジェラ・ダックワース『GRIT』から抜粋します。

若い人たちに「自分が本当に好きなことをしなさい」とアドバイスするのは、バカげたことなのだろうか?じつはこの問題については、「興味」を研究している科学者たちが、この1年ほどで最終的な結論に達した。 第一に、人は自分の興味に合った仕事をしているほうが、仕事に対する満足度がはるかに高いことが、研究によって明らかになった。
(中略)
第二に、人は自分のやっている仕事を面白いと感じているときのほうが、業績が高くなる。 


 

まとめ

 

ぼくの経験と本からの引用をもとに、5つに分けて話してきました。

 

結局、自己分析する意義とは

「人生の迷いをできるかぎり最小限にし、自己を磨くことで幸福を手に入れる」ということなのです。

 

では、どのように自己分析をすればよいのか、

 

これについては、別の記事に書きます。



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ところでぼくは、高校生のときまで常に自信がなく、誰かにしたがわないと生きていけませんでした。

ただ、誰かの命令に従うことは苦痛でした。 ストレスでしょっちゅう口内炎ができてた。

こんな人生やだ。
じぶんの力で生きたい。
独力で生きる自信がほしい。

大学生になって本を読みまくってマインドを育てまくった。 さらに、じっさいに行動もした。 だれかに頼らず。

その結果、「自分の力でなんとでも生きていける」という自信を持ちはじめ、

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