【賢く生きる】深く考えるための姿勢をつくる2つの方法-『問い続ける力』レビュー

「生き方」を知る

今回読んだ本『問い続ける力』に、より良く考えるためのヒントが散らばっていたので紹介します。

 

この本は、著者が思考することに向き合い、著者がほれた思考する巨匠らにインタビューしたものです。

今回の本のなかでぼくが紹介したい、深く考えるための姿勢は2つあって、

1. 基本原理に立ち返る
2. 自分で考えたという成功体験が大切

です。

基本原理に立ち返る

たとえば、スティープ・ジョブズ を超える天才起業家と言われるイーロ ン・マスク (テスラやスペースX の創業者)は、「イノベーションを起こすために、どのような問いを立てるのか?」と聞かれ、彼独特の表現で次のように述べている。「僕らは普段の生活では、いちいち基本原理に立ち戻って考えることはできない。そんなことをしていたら、精神的に参ってしまうからだ。だから、僕らは人生のほとんどを、類推や他人のまねをするだけで過ごしている。でも、新しい地平を切り開いたり、本当の意味でイノベーシ ョ ンを起こそうとしたりするときには、基本原理からのアプローチが必要 になる。どの分野にせよ、そのちっとも基本的な真理を見つけ、そこから考え始めるしか……まあこれは、とても精神的に疲れることだけどね」たとえばイーロン・マスクは、宇宙船の開発・打ち上げを行う、スペースXという会社を起業している。ロケットの打ち上げには膨大なコストがかかるため、これまで民間企業はとても手が出せる領域ではなかった。しかし、イーロン・マスクは基本原理に立ち返り、「口ケットの原材料費を考えると、どう考えてもそこまで高くはない。今のロケット開発は、何かがおかしいはずだ」と考え、乗り出すことにしたという。

このように、根本から疑うことは決して簡単ではない。

イーロン・マスクも言うように、脳に多大な負荷がかかってしまうからだ。

そして、考えることは時間がかかるので、意識しない限り深く考えることはない。

 

だが、イノベーションを起こすというのは、べつに世界に対して起こすことに限らず、自分の日常や人生においても適用できるはずだ。

カレーはこの作り方でいいのだろうか?

もっとほかにやり方があるのではないか?たとえば、にんじんは実はみじん切りにしたほうが美味しくなるんじゃないか?

 

大学通うのに、お金節約のために鎌倉駅から浦和駅まで実家から通っていたけど、じつは大学近くに暮らしたほうがスーパーでバイトする時間とれるし、精神的につかれないから健康にいいしで生きやすくなるのでは?

 

本当に公務員でいいのだろうか?

安定がほしいから公務員志望だけど、じつはベンチャー企業やスタートアップ企業のほうがやりたいことやれるし成長できるしで結果的にいい意味で安定につながるのではなかろうか?

などなど。

 

ぼくは、大学入試というのは害だとおもっている。

入試では、いかにして武器を脳のなかに詰めこみ、武器を使って解くがか問われている。

入試では、問題があらかじめ与えられており、「その問題を解決するにはどうすればいいか?」を学んだことを組み合わせれば解決できる。

たしかに、これはこれで「考える」ということなのだが、日常や人生において、入試のような明確な問題や解答はあるのだろうか?

入試は、自分で問題を見つけ、自分で解決するということがないという点において現実世界とかけ離れており、現実世界で思考停止に陥らせる。

 

より良く生きようとするぼくたちにとって、入試は害である。

2008年にノーベル物理学賞を受賞された益川さんも、ご自身が書いた本『「自分力」の磨き方』でこのように述べている。

今の世の中は、知識を詰め込んで、その詰め込んだ知識の中から最短で答えを見つけ 出すことができる人が「頭がいい」とされる傾向があります。
私は研究者であると同時に、大学で指導も行っていますから、大学の入試問題などに 触れる機会も少なくありません。そこで感じるのが、日本の教育は大学の入試対策に偏っていて、本当の意味で「考える」ということをとても軽視しているということです。必要なことをインプットして、効率よくアウトプットすることだけを重視しているように 感じるのです。

よりよく生きようとおもえば、遠回りに見えても自分で問いただし、自分なりに考える。

こうして人間にとっての武器である頭をきたえることができ、よりよく生きられる、とぼくは強く思っている。

今回読んだ本『問い続ける力』にも、自分で考えることで本当に強くなれるというようなことが述べられている。

為末さんは、「なぜ速く走りたいのか?」と考えていた時、アメリカ人のコーチから次のように言われ
たそうだ。「そんなことを考える必要はない。速く走ってメダルを取れば、お金と名誉が手に入る。それだけで走るには十分な理由だろう!?」
そんなクソ面倒なことを考えるよりも、速く走るための練習をしなさいというわけだ。 たとえばストリートファイターであれば、すでに強い人たちのプレーを真似したほうが、
効率よく上達できる。 ビジネスであれば、どこかで成功したモデルを真似した力がうまくいく確率は高い。研究であれば、人工知能のような今流行っているものを最速で学習した方が学者としての成功は早い。
梅原さんはそのような姿勢に対して懐疑的である。なぜなら、それは自分の礎を築く前に身につけた強さなので、本物の強さにはなりにくいからだ。たとえ歩みは遅くとも、自分と向き合って本質から積み上げられたものが、結果的に堅牢な強さになりうるという。

日本の学校では、知識を手に入れればオッケーなところがある。

「知識さえあればオッケー」教育は自分オリジナルな問いや考えを妨げる。

よって、他人に頼る体質をつくる。

それは、個人がより良く生きる上では害にならまいか?

 

一方、フランスの高校では、なんと哲学の授業がある。

これによって「本当にそうなのか?」という物事を批判的に見る力を養うのだ。

まさに、基本原理に立ち返って考えることを身に着けさせられる。

 

ぼくは、フランスにならって日本の高校でも哲学をさせるべきだとおもっている。

原理原則ベースで考えることこそ、人間の武器である脳をきたえることにつながり、それはより良く生きる上で大切だとおもっているからだ。

 

自分で考えたという成功体験が大切

比較的若い時期に、誰も思いついてない アイデアを考えたという体験があると、そのあとも、いい意味で呑んでかかることができ るようになるので、自力で考えていくことが怖くなくなるんです。
ところが、自分が考えていることを教師に話したものの、それはもうずっと昔に同じこ とを考えた人がいて、しかも、自分が完全に間違えているなんてことを指摘されると、もうその人は、萎縮してしまって自分で考えられない。考えようとする前に、図書館へ行っ て、先人の膨大な論文をあさっちゃうんですね。 そのうちに、自分が何を考えていたのかもわからなくなって、膨大なリファレンスに一 行つけ加えればいいかというところで妥協するようになる。 だから、論文を読みすぎちゃった人は、大抵、いい仕事ができなくなります。

ここで言われていることは、まず自分で考えて「これでよい!」という自分なりの納得感を得ることが大切だということなのだ。

 

今まで学校ではいい点数をとることを暗黙のうちに教えられてきた。

事実、内申書で5を取りたければテストでいい点数をとらなければいけない。

また、悪い点数を取れば親に叱られるので、やはりなにがなんでもいい点数をとらなければいけない。

 

テストには正解があった。

だから、情報を知っていたもの勝ちだ。

そしてそれは、いかにたくさんの資料を読んで頭に知識を叩きつけたり解法を覚えたりするかによってくる。

だが、すべてに共通する正解をもとめて知識を追うのでは、自分なりの考えを産まない。

膨大な知識にうもれて、自分の考えがわからなくなってしまうからだ。

 

まず、自分で考える。

そのあとに本を読んだりして自分なりの考えを補ったり修正したり、はたまた新たな考えを生み出したりするのだ。

 

今回紹介している本『問い続ける力』では引用したように、自分で考えてアイデアを生み出したという成功体験が重要と書いてある。

だが、普段考えてアイデアを出す機会なんてない。

朝起きて顔を洗い、歯をみがき、髪を直し、白米を食べて、着替えて、自転車に乗って・・・。

考えてアイデアを出すには、非日常的がものごと(出来事)が必要だとぼくは考える。

つまり、問題をつくる、または問題を発見するのだ。

すると、なにがなんでも考えることになる。

あとは自分の納得いくまで考えるのだ。

 

ふりかえってみると、ぼくはこれを無意識にやっていた。

幼い頃、ぼくは近所の公園の噴水が大好きだった。

「お~い、もういくぞ」と父親に言われても、ずっとずっと噴水のそばからはなれようとせず、みていた。

催眠術にかかったかのように、噴水をずっと見ていた。

さて、近所ではない違う公園にて噴水を見ていたとき。

時間によって、噴水の出方が変わるのだ。

ある時間では直線状の噴水が四方八方にまかれて、池にとびでる感じで放水されていた。

しかし、ある時間になると噴水の出方が切り替わってキリ状に”噴水”がでてくる。

真ん中にある、直線状の噴水がでていたところを囲むように。

 

ぼくにとって、キリはふしぎなことだった。

「あれ、なに?」と親にきくと、「ああいう噴水」と答えられていた。

しかし、いつもとは違う噴水になっとくいかず。。。

ということで、再び「あれ、なに?」ときくと、またしても「ああいう噴水」と答えられてしまいました。

ということで、「なぜ、あれは噴水なのか?」と、キリの噴水を見ている間ずっと考えることになってしまいました。

納得感がほしかったのです。

噴水でないとおもっていることを噴水とおしえられる矛盾さに、ケリをつけたかったのです。

 

今回の事例では、非日常というのが噴水を見ることにあたいします。

とにかく、日ごろ毎日やっているおこないから抜け出して異世界を知り、それについて納得いくまで考えるといい、とぼくは考える。

 

異世界と触れる時間や金なんてない!

そんな声が聞こえてきます。

 

問題ないです。

異世界は、つくれるのです!!今、この場で。

 

・・・・・・は??

 

じつは、普段意識していないことに目を向けるだけで、それは自分にとっての異世界です。

ぼくは春のあるとき、桜の花を見ていました。

ふつうの人ならそれを横目で見て「きれいだな」でおわるでしょう。

しかしぼくは、立ち止まって桜を木全体として見たり一つ一つの花として見たりしてじっくり観察し、桜を味わっていました。

そして、「なぜ桜の花は人の心を魅了するのか?」と歩きながら考えていました。

そして、とりあえずの自分なりの納得行く結論としては「有るようで無いもの・無いようで有るものに、人はひかれる」としました。

 

考えるきっかけをつくるには、哲学対話も有効です。

これは、あるテーマに関してグループにいるみんなが「自分はこうだと思う」と考えて意見を出し合うというものです。

たとえば「友だちとは何か」というテーマで友だちについての本質をさぐるという感じです。

もちろん、正解はないので否定はダメです。

このように、あるテーマについて自分なりに考える機会をつくることでも、考えを深めて自分なりの納得いく回答をつくれたという成功体験になります。

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