行動しないとイジメられる

意見

「イジメられているかどうか」は極めて主観的な考えであり、当事者の本人にしか分かりません。

よって、周囲にいじめられていると分からせるためには、行動するしかないのです。残酷な意見ですが、行動しないのであれば、いじめられ続けられるのは当然です。

 

Twitterにて、このような意見を見ました。

「いじめをするのなら、学校なんて来なくても良いんだよ」と春名風花さん

なるほど、視点を以前の「いじめられているなら学校行かなくても良い」から「いじめているなら学校来なくていい」に変えたのですね。それで、反響がもらえた、といったところでしょう。斬新なアイデアに「おおっ」とさせられるのは人間ならでは。

 

しかし、冷静に考えると、この視点の変更はムリがあるように思うのです。

ここで、ぼくの小学校のときのエピソードを。

ぼくは小学生のとき、とある人たち(友だち)に、毎日ズボンに指をひっかけられてすこしずらされ、パンツの色を確認されていました。「今日は女だ!」とか「今日は◯◯だ」と言われていました。

最初のころは、単に遊びのうちだと思っていたのですが、さすがに毎日毎日パンツの色を見られるのは苦痛でした。

学校行くたびに「ああ、また今日もどこかのタイミングでパンツの色を確認されるのか」と憂鬱な気持ちになっていました。

あまりにも、あまりにも苦痛すぎる。

懇談会が迫っていました。母が「なにか先生に言ってほしいことある?」と聞いてきました。これはチャンス。「いつもパンツを確認されるのはイヤだから、言ってほしい」と言いました。

すると、先生は後日、ぼくのパンツの色を確認する人たち(3人)を呼び、注意しました。そして、先生は、その3人とぼくと対面させて、3人に「ごめんなさい」と言わせました。

で、これ以降、パンツの色を確認するというイジメはなくなりました。

 

ここで言いたいのは、イジメている本人たちは、本人が苦痛であること、つまり自分がイジメていることに気づいているのか?ということです。

イジメとは何か。ぼくは「他者に苦痛を与えること」だとおもっています。

ここで、「苦痛」を味わう対象は誰でしょうか?そう、イジメられている本人ですね。

ということは、イジメられているかどうかは、イジメに合っている本人にしか分からない、ということがお分かりでしょうか?イジメている人や、さらには周りの人、地球上の人々は、イジメられている人の苦痛を味わうことがないので、イジメかどうか判断できないです。

じっさい、中学のとき、学生指導担当のコワ~い先生は「本人が嫌がっていたらそれはイジメだ」と学年全員を集めておっしゃっていました。

ということで、Twitterでのツイート「イジメていてるやつは学校こなくていい」については、そもそもイジメているのかどうか本人は知り得ないので、そのようなことを言うことは無意味です。

イジメている(苦痛を与えている)ことの自覚がないので、「学校くるな!」と言われても学校に来てしまいます。

よって、イジメが嫌なら自ら動くことが必要になります。

僕の友人は中学のとき、先ほど言った学生指導の先生に「イジメてるだろ!!」とムチャんこ怒られていました。

その友だちがやったことは、席の隣の女子がキモいからわざと机を離していた、というものです。その隣の女子はぼくの友だちが席を離すたびに机を離していたということで、イジメ認定されてしまったようです。

もちろん、その友だちは二度と机を離すようなことはしなくなったわけです。

 

さて、僕のイジメの場合と、机を離された女子のイジメ。両者ともめでたく苦痛をのがれることができました。それは、「先生に言う」という行動を起こしたからです。

行動を起こしたからこそ先生はイジメている人に怒り、イジメは停止したのです。

もちろん、先生に言いつけてもイジメがなくならない、ということはあると思います。先生が動かないせいで。

そしたら次の手段として、市の教育委員会に言いつけるとか、悩みのホットダイヤルに相談してみるとか(小学生や中学生のとき、よく、「悩んだら電話してね。名前は言わなくても良い」というポストカードが学校で配られていた)、いろいろあるはずです。

それでもダメなら、学校に来ないという手段を取ればいいです。

そしたら学べなくなるじゃんという意見はあるでしょう。

ですが、そもそも学校での学びは必要ですか?と言いたいです。

いまの時代、YouTubeやネットに落ちている学習につかえるPDFは落ちてますし、フリースクールだってあります。高校や大学なら、通信制の学校だってあります。

不登校になって苦痛を逃れても、ちゃんと学べます。

それよりも、苦痛を逃れることが最優先です。苦痛であり続けるのは自殺につながるからです。

 

とにかく、第一に行動です。行動することで想いは伝わり、事態は改善されます。

一回の行動で改善されなければ、さらなる行動によって環境を改善することを心がけます。

たとえばアパートで、隣の部屋がうるさければ(今のぼくの現状ですね、はい。)相手に文句を言うとか、です。それでもダメなら、引っ越すとか。とにかく行動です。

 

ただし、行動よりも我慢(許容)するほうが合理的であれば、それはそれで良いです。

今のぼくの住んでいるアパートの隣人は音楽をかけるのでうるさいです。でも、許容できるのでとくに行動していません。

でも、研究室の席はさすがに苦痛だったので行動して、違う席に移動しました。
数回移動して、ようやく落ち着くことになりました。

やはり、行動によって苦痛からの脱却は獲得しなければならない、と強く思うようになりました。

なにがあったのか、説明します。

私がいる大学の研究室で、配属時にジャンケンで席を決めました。ですが、ジャンケンに負けて、研究室の全員が通る通路に面した席になってしまいました。

どうしても、後ろを通る人の流れが気になる。
ということで、空いている席に移動。本当は学部4年生(B4)が座る席ではなかったのですが、空白地帯であったので、行動によって獲得しました。

ですが、修士1年の方が新しく入ってくるとのことで、席を移動する羽目に。

よって、さらなる空白地帯に移動しました。

ですが、ぼくがいないときに修士の人たちで話し合いが行われて、その席はダメということになりました。通路側にはもうひとりB4の人がいて、その人をひとりだけ通路側にするのはかわいそうだから、ということらしく。

おい、かわいそうかどうかは本人に聞かないと分からんだろ。オレは苦痛だって言ってるのに。

内心ではそう思いつつ、しかたなく通路側の席に移動。

しかし、やはり後ろの人の流れが気になるし、なにより誰かが後ろを通るたびに床をつたって振動がぼくの体に伝わってくる。

もう、これほどまでに苦痛なことはない。家に帰っても頭痛です。本当に苦しかったのです。

ということで、通路側でなく、席がきちんと整然とならんでいる席に座っているB4の人に「変わってくれ」と頼み、席を代わってもらいました。

 

と、こんな感じで、あきらめずに何度も行動することで、苦痛を逃れることができました。

やはり、あきらめたら終わりです。自分の身体の苦痛は行動しなければいけないというサインです。

もちろん、周りに迷惑をかけたくないから行動しないという手もあります。それは本当に価値観によるものなので、ぼくは良いとおもってます。

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