梅松努『あきらめない練習』レビュー

「生き方」を知る

「受動的になるな、能動的であれ。すると、人生豊かになる。」

この本をひと言でいうとそうなる。

 

ぼくはこれを読んで、ずっと何かに依存しきりな思考だったな、と反省するにいたった。

もうこれからは、「無いからできない」とは思わない。「この環境にいないからできない」なんて、思わない。

さて、どんな内容の本だったのか、見ていこう。

お金持ちじゃないから→お金で「何をしたいか」を先に考える

お金=能力×時間

と著者は説く。

 

時間がお金になるのは分かりやすい。アルバイトは時給900円とかで募集している。まさに、アルバイトとは、時間をお金に変える手段である。

では、能力というのは何か。

経験や知恵、知識のことだと著者は言う。

 

著者はロケット制作を通じて経験と知恵を獲得し、本を読むことで知識を得た。

なお、経験とは、他の人がしないようなことであるほど良いと言う。

たしかに、みんな同じ経験をしても、外部からみればみんな同じなのだから、誰と仕事をしても変わらない。これは、一人ひとりの価値の低下を招く。競争があるからだ。

みんな同じだと、「私を雇うのは安いよ!」と価値を低く見積もることで相手をおびき寄せるしかなくなる。

だから、人と違う経験をしよう、ということなのだ。

すると、他の人にはない経験や知恵、知識が手に入り、第三者からしてみればレアキャラとなり、金銭的価値は上がる。レアキャラの値段が高いのは、カードゲームショップやゲーム内での課金アイテムを見ればお分かりだろう。

よって、著者は、投資をするなら自分に、ということを本書で述べている。

 

いやー、ぼくは人と同じことしかしていませんでした。
フツーに幼稚園に通い、フツーに小学校に通い、フツーに高校に通い…。

経験がフツーすぎて笑えます(笑)。

フツーではない経験を心がけたかった。

 

ふりかえってみると、ぼくの親は0歳のときから塾に通わせていており、大学入るまで塾に行かなかった期間がなかったのです。

小学生のときと高校のときは「自発的に塾に通いたい」と言って塾に通っていましたが。

よって、「なにかやりたい!」とかなく、ずっと塾、塾、塾!な日々の学生生活です。

 

あ、部活はしていましたけど、それはみんなやってますしね。

部活なんて、みんながやっているから「じゃあどの部活に入ろう」という考えでやってました。

枠から抜け出してなにか経験しようなんてこれっぽっちも思いませんでした。

 

ぼくは一体、なにをしていたんだ…。

プログラミングでなにかアプリつくった経験とかすればよかった。

 

「やりたいことが多すぎる」→自由時間をつくって情報収集

ここで述べていることは、「やりたいことが分からない」となっているときに人に安易に教えてもらうな、ということだ。

やりたいことが分からなくて人に教えてもらうと、ますます自分で何をすればいいのか分からないという悪循環におちいってしまうからだ、と筆者は言う。

この負の連鎖を断ち切るためには、時間を確保して自分で調べたりやってみたりする必要があるとのこと。

なお、このとき、完全に理解できる必要はなく、調べたり読んだりしているうちに理解が深まるそうだ。

 

たしかに、そうなんだろうけど、ぼくとしてはまずとっかかりくらいは人に聞いてもいいんじゃないかな、とおもってます。

ぼくは脳を研究したいという想いであふれていたのですが、具体的にどこから研究すればいいのか分かっていませんでした。

ということで、指導教員の方に「どんな論文読めばいいですか」と聞いて論文を紹介してもらい、そこに書いてあったテーマから自分のやりたいような研究テーマを考えていきました。

やはり、最初からゼロはきついです。本当にやりたいことが分からなければ、まずは人に聞くのでもいいと思います。で、そこから自分なりに拡張してやりたいことを広げるイメージです。

ぼくは宇宙が好きで、それが転じて天文学者になりたいとおもっていた時期があります。それは、偶然に出会った宇宙の図鑑からはじまっています。

これについては、コチラのブログに書いています。

あなたの進路は、本屋でみつかる。

やりたいことは、やったことがないことしてこそ見つかる。【偶然性】

その図鑑と出会った場所は本屋です。

では、その本屋に行ったのは自発的だったかと言われるとそうではなく、親につれていってもらった結果です。

やはり、自分からやりたいことを見つけ出すのは簡単なことではなく、最初は誰かしらに教えや自分がやる行動をたずねるほうがいい、とおもっている理由です。

 

なりたい職業→「なぜ」で深堀りせよ

「なりたい職業」を「なぜ?」で深堀りすることで、自分のやりたいことの本質が分かります。すると、自分の思い描いているなりたい職業に縛られることなく柔軟に未来を選択することができます。

たとえば、「医者になりたい」としましょう。「なぜ、医者になりたいの?」と問いかけてみてください。

もし「お金持ちになりたい」と答えるのであれば、それは起業して会社の経営者になってでもできます。あと、株やFXでもうけることでもお金持ちになれるでしょう。

もし「人助けしたい」と答えるのであれば、それは看護師や消防士でもいいはずです。

このように、「なぜ?」で深堀りすることで、やりたいことの手段をいくらでも見つけることができます。職業とは、なりたい・やりたい状態になるための手段でしかないのです。

ぼくも、高校生のとき、そんなふうに自己分析すればよかった、とおもっています。

ぼくは高校生のとき、「天文学者になりたい」とおもって物理学科に行くことを高校2年生のときに決めていました。

その「天文学者になりたい」の根拠は「宇宙が好き」というただそれだけです。

あるとき自室でなんとなく、

将来なにしよう

サラリーマンはやだな

そうだ、宇宙が好きで極めればたのしいはず。天文学者になろう!

と思ったことをなんの疑いもなく信じこみ、「絶対に天文学者になってやる」という想いで大学受験の勉強をしていました。

そして、どうしても旧帝大に行って、研究者をめざしたい。

ということで、現役のセンター試験の結果でとうてい旧帝大を目指せないレベルであったため、浪人することに。

「宇宙が好き」というのは、なにがどのように好きなのか、ハッキリさせていなかったのにもかかわらず。

そのためか、浪人中に「宇宙が好き」という想いはゆらいでしまい、志望校であった旧帝大になんの魅力も感じなくなってしまいました。で、結果は現役のときと同じセンター試験の点数。

ということで、地方国立大学の物理学科に進学することになりました。

ですが、天文学者になるために物理学科に行っているはずなのに、もはや天文学者になろうという想いはうすれ、物理が退屈で苦痛なものになってしまいました。

宇宙のどういうところが好きなのか。

これをハッキリさせてさえいていれば、ムダに浪人せずに、そして物理学科をえらばずに済んだのにな、と反省することになってしまいました。

 

「なぜ?」で深く掘り下げて自己分析するのは大切です。

本当に大切だと感じているので、また別の記事に自己分析の方法は書きます。

 

「雇ってもらう」「してもらう」→自分でできるところから始める

著者いわく、「雇ってもらう」とか「してもらう」のような受動的な態度では相手に束縛されてしまう考えになる、とのことです。

相手がいないと自分はなにもできない発想だから、不自由な身になってしまうのです。

 

「お金がないからできない」という考えも同じであると著者は言います。

それは、「お金を払ってやってもらわないとムリ」という考えと同じであるからです。

 

「退屈だ」「暇だ」という気持ちは、だれかになにかしてもらわないとやることがない、という意味を示します。

たとえば、暇だから春期講習行こ、とか。

はい、高校生のときの僕のことです。。。

この考えはまさに「予備校の人間に課題や学習内容を与えてもらう」という受動的な発想です。

 

ぼくは先に0歳から塾に通わされ、それ以降大学に入るまでずっと塾に通っていたと言いました。

それにより、依存マインドが幼い頃からできあがってしまっていたのでしょう。

なにか目的があって習い事をさせるのはいいんですが、「将来のため」とか「役に立ちそうだから」といった漠然とした目的で習い事をするのは単に依存マインドをつくるだけですよ。

と、ぼくに何かと習い事をさせようとした母親に言いたい!!!

 

ぼくが子どもをつくったら、まちがいなく子どもの自主性に任せますね。

こうすることで、人生を自らすすんでたのしむことができるマインドになるので。

「暇だ」「退屈だ」と言うような子どもにならないですから、人生たのしめる。

そうそう、著者も自立マインドの持ち主であるため、「暇」とか「退屈だ」ということがないそうです。

 

教わっていないからできない→独学で学ぶと、すごく吸収できる

これは、もう本当に今の自分だな、とおもってしまっています。

ぼくはこの題名の章を読んで、とても反省することになりました。

これからは、自分で探しもとめるクセをつけなければならない。

 

先ほど、指導教員の方に「どんな論文読めばいいですか」と聞いて論文を紹介してもらったということを書きました。

そして、まったくのゼロからはきついから聞いてみれば、と。

 

でも、本当のことを言えば、それも甘えなんだな、とおもっています。

やりたいことを見つける努力を怠ってしまった。

 

それも、先ほどから言っているように、塾に通い続けることによって依存マインドになってしまっていたからなんだろう、とおもってます。

0歳のときから塾に通わされ、小学校のときは自分から塾に通いたいと言って塾を変えてもらって通いました。

中学卒業とともに塾をやめたら、新たな塾をさがして高校入学より前に塾に通ってました。

さらに高校卒業して浪人するときにも塾に通い、で。

最初のころは「たのしいから」で塾に通っていました。

ですがやがて「賢くなりたいから」とい能力をもとめて通っているということに、ふりかえってみて気づきました。

でも、能力を求めることは先ほど書いたように「してもらう」マインドであり、不自由で退屈な身となります。

 

著書にはこのようなことが書かれています。

 

「何をすればいいんですか?」
「指示されたとおりに真面目に勉強します」
ではなく、
「こういうことがしたい」「こういうことを知りたい」
ということだったら、疑問は次から次へと湧いてきます。能力とは、与えられてもらうものではありません。自分で得るものです。

ぼくは、誰かから教えてもらおうというマインドではなく、「なぜ?」をもとにガンガン独学していこうとおもった。

ぼくは思考力を徹底的に磨きたい。どんどん読書し、考える。

 

ところで、単に能力を身につけるのではなく、仕事にする能力をために専門学校や大学に通うのである。

という意見はあるでしょう。

ですが、著者はこれを否定します。

というのも、著者自身を含めて、独学で仕事にできるくらいに技能を身に着けた人はたくさん知り合いにいるから、と言います。

ぼくは、「いや、大学とか専門学校やスクールに通うと、みんなが勉強していたり教師がいたりするからモチベーションが続くんだよ」と反論したい気持ちでいました。

ですが、先ほど書いたように、「なぜ?」という疑問さえあれば、自らのうちにモチベーションは湧いてくるんだよなあ、とおもいました。

自分で疑問をもつ訓練ですね。そうしないと、人生おもしろくならない。

疑問をもって行動することが、能動マインドになって自由な人生を歩むコツなんだろうな、とこの本を通じておもった。