意見

不幸の原因は〇〇である。

今回は、「不幸の原因を知ることで、無気力にならないようにしよう」というのが目的です。

この記事と対になっているので、もしよければコチラも見ていただけると。

はじめに言っておくと、経験に対して受動的であると、不幸になります。
無気力になります。
生きる意味を失います。

ぼくにとって、なんとなくパズドラをすることはパズドラに対して受動的なので、
パズドラをすることは不幸になります。

いまのところは、「なんとなく」でやることは、
すべて受動的な人生の時間の過ごし方だとおもってくれればと。

 

ぼくが考える受動的な人生には、3種類あります。

・時間つぶしでなんとなく
・人にやらされている
・打算的である

と、列挙しても「は、どゆこと?なにが受動的なの?」となるので、
これらをそれぞれ書き直すと、

・時間の奴隷
・他者の奴隷
・お金の奴隷

となります。〇〇の奴隷=〇〇に対して受動的ということです。

まず、「時間つぶしでなんとなく(時間の奴隷)」について見ていきます。

ちなみに、この3つの奴隷は心の反応から2つに分けることができて、

時間の奴隷→「むなしさ」からの逃避
他者の奴隷 / お金の奴隷→「やるとき」の拒否感

となります。

 

むなしさからの逃避

時間の奴隷

「時間つぶしでなんとなく(時間の奴隷)」というのは、

・いつもおかしをたべながらテレビを見る
・電車に乗ってやることないから音楽を聞く
・お出かけ前、「あと20分時間あるな」とおもってグノシーでひまつぶし
・電車の中でパズドラ
・アマゾンプライムビデオを無目的にボーッと見る

といった感じです。

「おい、パズドラくらいいいじゃないか。なにが奴隷だよ。」

もちろん、人生完全になんらかの奴隷から抜け出そうなんて無理なので、
パズドラそのものはいいのです。

この完全なる能動さは無理であることは、詳しくあとでのべます。

ただ、
時間の奴隷になるとなにがマズいかというと、
やり終わったあとのむなしさにつながる
のです。

時間つぶしというのは、むなしい人生に対しての対処療法でしかないのです。

エナジードリンクで眠気を一時的にふっとばすイメージです。

ちゃんと7時間とか8時間とか寝ないと、
根本的に眠さは解消されない。

それとおなじで、人生のむなしさも、ちゃんと根本的に解消しないと、
いつまでたっても解決しないままです。

とか言ってるぼくも、時間つぶしでなんとなくやっているときがありました。

しかも、なにがコワイって、本人に自覚なく人生の時間をつぶしてしまっている。
Twitterがその代表です。

ぼく、大学生のあるときに、Twitterを晩飯後に1時間くらいずっと見ていたときがあります。情報収集だと自分に言い聞かせて。

アカウントをフォローしていると、
そのアカウントから発せられるツイートってタイムラインに表示されるじゃないですか。

ぼくは当時宇宙に興味があって、
宇宙に関する情報を発信しているアカウントを
フォローしまくっていました。

そして、タイムラインをずっとながめてました。

なにかいい情報ないかなー、と。

でも、その情報収集によって自分の人生が変わったなんてこと、ありませんでした。

まー、人生ムダにした。

なんかとくにやりたいことなく、ただただ時間をつぶすのは、なんかこう、むなしい。

 

あと、小学生・中学生時代にもムダにしたことが。

ゲーム。ぼくにとってのゲームは2つの意味があって、

1.友だちとつるむため
2.暇つぶしのため

です。

友だちとつるむのはまあいい。

「人間とは何か」を考えたとき、
人とのつながりは人間においては欠かせないものだからです。

家族や社会。すべては人間どうしの関係による世界なのですから。1人では完結しません。
Wiiというテレビゲーム機でぼくが小学生のとき
「大乱闘スマッシュブラザーズX」をよくやってました。

友だちとワイワイガヤガヤ。

友情を深めるという意味で、ゲームはとても有効ですね。

 

あ、そうそう。この前にカードゲームをひさしぶりにやりました。
笑いやコミュニケーションが絶えませんでした。

ぼく以外の参加者5人のうち2人はあまりしゃべったことがない人だったのですが、
カードゲームを通じてなんか仲良くなれた気がします。

カードゲームやボードゲームといった、
みんなでテーブルを囲んでやるアナログゲームは最高ですね。

対面でなにか成すって、究極に人と仲良くなるツールだなっておもいます。

 

でも、問題なのが、暇つぶしのためという理由でゲーム。これはアカン。
マジでつまらん人生になります。

ぼくは小学校6年生のときにPSPをクリスマスプレゼントで買ってもらって、
1人さみしくゲームをしていました。
まー、つまらん。

・勇者のくせに生意気だ
・モンハン
・ピポサル
・ウイニングイレブン

いろんなゲーム買いました。
けど、どれも本当に続きませんでした。つまらなくて(笑)

単に時間つぶしにしかなっていませんでした。なんかこう、やらされてやっている感じ。
とりあえず、時間あるからやっとこ、みたいな。

時間つぶしの考えで物事をやると、くっそ人生つまらなくなります。
ある時間においての経験の質が落ちるからです。
ぼくみたいに「なんかやることないからとりあえずウイイレやっとこ」みたいな(笑)

逆に、経験の質が大きほど、人生が充実します。

なお、経験の質とは、あとからふりかえって「充実してたな」とおもえるかどうかです。
「充実していたな」とおもえるなら、それは経験の質が高かったということです。

あとで述べますけど、人生の質を高めようと思えば集中することが必要になってきます。
集中なくして「なんとなく」なんて、絶対に人生が豊かになりません。
小学生・中学生のときに「なんとなく」PSPをやっていたぼくのようになります。

ちなみに、こんなこと言ってる今現在のぼくでも
時間の奴隷になっていることありますからね(笑)

油断してると、だれしもが時間の奴隷化になってしまう。

もちろん、後述する2つの奴隷についても、油断しているとのみこまれます。

では、なぜ時間の奴隷になってしまうのか。

・ボーッとしようとしてしまうから
・頭を働かせないようにしているから

つまり、

・エネルギーを消費しない道に逃げようとしているから

です。

たしかに、エネルギーの観点からすれば、エネルギーをつかわないようにする、
つまりエネルギーが低いようにするというのが自然界の法則です。

たとえば、物が重力にしたがって落下するのは、
重力エネルギー的に物が高いところから低いところに行くというのが
自然界で成り立っているからと解釈されます。

よって、自然界の法則にしたがうという点では、頭を使わないことをすることが正解です。
たとえば、グノシーを見て1時間つぶすとか。

ぼくも似たようなことやって時間をまるまる1時間つぶしたことがありますね。
Twitterではなく、NewsPicksというニュースアプリをただひたすら読みまくるという(笑)

ですが、自然界の法則であるエネルギーの節約とは違い、生命だとそうはいかない。
生命は自然界の法則を打ち破るようにして、エネルギーが高いことをすることで
生命維持活動をしているのです。

たとえば、細胞内外でイオン濃度を調整することで、神経信号が感覚器官、
そして脳へと伝わるようにできています。

この、イオン濃度の調整は、ATPというエネルギーを輸送する物質をつかうことで
行われています。

つまり、生命とは、わざわざエネルギーをつかっているのです。

身近な例ですと、片付けですね。
ぼくの場合だと、本棚から本を出しっぱなしにして、
やたらと床がちらばります。

あー、片付けなきゃいけない。ヤダー、めんどくさい。

片付けにはとてもエネルギーがいります。
だって、めんどくさいんだもん(笑)。

それでも、足場がなくなってしまうし、生活するのに困るから、片付けないといけない。

ということで、エネルギーをつかって片付けを行うことで、
快適に生活できるようにするのです。

ようするに、
「生命とは何か」を考えたとき、
ボーッとするようななにもしない状態よりも動的であるほうが、
生命の本質に近いのです。

事実、動的であるほうが、心が生き生きとします。

 

では、動的であると心が絶対に生き生きするのかと言われるとそうではなく。

 

自分にとって興味あることに自らすすんで
足をつっこむという意味で動的であれば、
人生が充実します。

このことは前回の記事にも書きました。

たとえば、ぼくの場合だと、小学校4年生のときに塾に入りました。
冬期講習に通ってみて、たのしかったからです。

自分から親に「入りたい!」といって入りました。

・「賢くなりたい」という欲求
・「学ぶことが楽しい」という快楽

どちらも、能動的な心のうごきです。

この能動性によって、中学3年で卒業するまでずっと塾をたのしめましたし、
やめたいともおもいませんでした。

また、ぼくは高校生の時に本気で天文学者になりたいとおもっていました。
ので、受験勉強はむちゃくちゃがんばりました。

受験結果はよくなかったですが、
「絶対に天文学者になってノーベル賞とってやる!」
という能動性によって、
受験勉強をしていた1年はとても充実したものになりました。

今思うと、なに夢みたいなこと考えてんだってかんじですけど(笑)

このように、自分から興味ある対象にむかって行動をおこすことで、
人生に充実感がもたらされます。

 

ところで、充実することと楽しいことはかならずしも一致しません。

集中度合いが高ければ高いほど、人生は充実しています。
それは、かならずしも楽しいこととは限らないのです。

 

受験勉強がいい例です。
受験勉強は正直言ってたのしくなかったです。

事実、もう一回受験生をやれって言われたら、拒否します(笑)

でも、天文学者になりたいという目標に向かって集中したことは、
間違いなくぼくの人生の質を向上させました。

自分からの行動と集中の度合い、そして幸福度の関係性について、
もっとしりたければコチラのリンクから。

(準備中)

 

やるときの拒否感

先ほど、自分にとって興味あることに自らすすんで足をつっこむという意味で動的であれば、人生が充実します。と書きました。

これとは逆に、自分にとって興味ないことに足をつっこむことには、
なんらかの拒否感を感じます。

で、どういうときにその拒否感を感じるのかというと、

・人にやらされている(他者の奴隷)
・打算的である(お金の奴隷)

になっているときです。順に説明していきます。

 

人にやらされている(他者の奴隷)

はやく「自分、人の言いなりになっているんだな」ということを意識しないと、
知らず知らずのうちに不幸になります。

ぼくがそうでした。
ぼくは、幼稚園のときから習い事をやらされていました。
まーー、いやでしたね。

くもんと水泳。くもん、知ってますか?
ちなみに、「くまモン」じゃないですwww

現代の寺子屋みたいなもんです。
まあ、プリント専門塾みたいな。
プリントを時間測って解いてハイおしまいってやつです。

で、どんどん解いくと先生がどんどんプリントのレベルを上げてくれます。
終わりなき階段をのぼっている感覚になります。

まあ、そういう「くもん」というところに入らされて、
プリントを永遠に解くわけです。

 

たしかに、プリントを解くという行為は能動的です。
ですが、自らすすんでプリントを解いているのではなく、

ある意味親に命令されて解いているわけです。
たのしいわけがない。

「くもん」では3ヶ月に1かいくらい、
どのくらい”階段”をのぼっているのか先生と確認し合う時期があります。

そのときは、プリントを「くもん」で解かなくてもいい日です。

よっしゃー、今日はプリントやらずに帰れるぞ~
子どもながらにウキウキ気分でした。

水泳もイヤでしたねー。
ぼくは運動がキライなんですよ、本来(笑)。

にもかかわらず、幼稚園のときから習わされていました。
もう、水着にきがえるとかイヤでしたよ。脱ぐのメンドウじゃないですか。

そんなこと、たいしてメンドウじゃなくない?

いや、メンドウなんです、ぼくにとっては。
もう、手を動かすというか、カラダを動かすこと全般がいやなので(笑)

イヤー、まじでイヤ。水にはいるとか、イヤ。

 

ただえさえ運動ぎらいなのに、サッカーを習わされました。
小学校3年のときです。

サッカーには、ちょっと興味あるだけでした。
なので、体験に行ったんですよサッカーの。

そしたらなんか、勝手に入会させられていました。地獄のはじまりです。

2年間、土日、3時間。

ただえさえ運動ぎらいなのに、集団行動です。
オエッ。

親に嫌気を悟ってもらったおかげで、やめることができました。

自分からなんで「イヤ」って言わなかったんだよ?

ぼくはずっとずっと受動的人生を歩んでいました。
高校生まで。それだから、自分から言えなかったんです。

まあ、人の言いなりになる受動的人生なんて、まっぴらごめんです、もう。

「もう、絶対に受動的人生なんて、絶対に絶対にやだ!!」
と心底おもうようになったきっかけは、受験のさいの志望校えらびです。

最初、希望した大学は、一人暮らしになるからダメとのことで。
気乗りしないがしょうがない。

実家から通える旧帝大を目指すか、と。

でもまあ、パンフレットを見てると、おもしろそうな大学がたくさん。
そうした行きたかった大学は、いわゆる偏差値が低いということで。

「そんなところに行かせん!」と親に言われました。
なんなら「あそびにいかせてるんじゃない」とも。

こっちは本気で天文学者になりたくて、
天文学を究めるのにピッタリな大学をみつけたというのに。

ぼくは、希望した大学には行けませんでした。

今思うと、親の反対を押し切り、
「奨学金とバイトでなんとかしてやる」の勢いで
志望校に行けばよかったのに、なんておもったりもするのですが。

 

すべては、「言いなりにならなければいけない」という受け身な態度、
そして思考がまずかった。

人の言いなりになるなんて、たまったもんじゃない。苦痛だ。

 

そういえば、心理学の実験でも、老人ホームにて、
自分で自分の植物の世話した老人のほうが、
職員が自分の植物を世話した老人よりも長生きしたとのことで。

この実験からわかることは、
自分で道をひらくという感覚こそ、人生の充実に大切である
ということです。

 

他者の奴隷から逃れる方法

では、どのようにして他人からの呪縛から逃れることができるのか。
学校の先生や親、世間などなどから。

それには、

・自分で頭を使うこと
・自分で人生を開拓する覚悟を決めること

が必要になってきます。

これらはすべて、たった一つのアイテムによって成し遂げられます。

それは、なにか。

本、です。

本を読むことは、必然的に頭をつかって考えることになりますから、
思考力がググッとあがります。

ちょうど、筋トレでダンベルあげて腕力きたえるのと同じ感覚ですね。
ぼくはこれを実感しておりまして。

とくに、哲学書ですね。
哲学書って、とても抽象的なことが書かれています。
はっきり言って、難しいです。

は?こいつなにいってんの?
という感じになります。

でも、それを自分なりに考えて読んだり、
解説と共に理解しながら読むことで、
脳がぐわーってきたえられる感覚になります。

なによりも、その頭を使ったあとの快感がたまりません。
もっと本を読む効果について詳しく知りたければ、コチラの記事もおよみください!

(今現在、執筆中)

あと、どんな哲学書を読むといいかは、コチラに書きました。

また、ぼくは以下の2冊の本によって、
「人生を自分の手で開拓してみせる」
というマインドを持てることができました。

自分の中に毒を持て<新装版> (青春文庫) [ 岡本太郎 ]
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なお、書評は準備中です。

 

打算的である(お金の奴隷)

いくら「お金欲しい」とおもっても、これはダメですね。精神が死にます。

毎日オ○ニーしていないと生きていけなくなります、マジで。

ぼく、アフィリエイトというのをやっていました。
マニュアルを20万で購入。
コピペを永遠に繰り返す。

……死にますよ、これ。

いくら金がほしいとはいえ、単純作業は死にます。
ちょっと稼げましたけど、二度とやりません。

お金よりも精神が喜ぶことをすることが、生きる意味であることを学びました。

 

……学んだはずなのですが、またしてもやらかしました。

「考えること好きだし、ネットで受注してプログラミングで稼げたらいいな」
とおもって、プログラミングを学びました。

たしかに、考えることは好きなんですけど、
「べつに、これ極めて仕事とってきたいとか思わんな」とおもってしまい、やめました。

そこからですね、「もう飯とか最悪食えなくてもいいから、やりたいことやる!」
と思い切るようになったのは。

でまあ、今のブログを立ち上げている次第でございます(笑)

ぼくは、今現在の人類も、1億年後の人類も、すべての人類を幸せにしたい。
そういう想いでブログを書いています。

ぼくの死後に、ぼくのつたえた情報で人々が元気に生きてくれれば、とってもうれしいな。

 

お金の奴隷から逃れる方法

では、どのようにしてお金の奴隷から免れることができるか?

もちろん、今お金の奴隷になってなくても、
今後お金の奴隷になることを防止できる策でもあります。

これは、

・自己分析
・自己啓発本

で解決です。

なお、自己啓発本とは、先ほどぼくが言った2冊のことです。
もう一回載せておきます

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で、自己分析について。
自分が本当にやりたいことを見極めることで、
お金に惑わされずにやりたいことに向き合うことができます。

すると、とても日々が充実したものになります。

ぼくがお金を追いかけて苦しくなっていたのは、自己分析をしていなかったからです。
で、自己分析してないせいで、いよいよ「おれ、なにしたいんだ」ってなってくる。

それで、自己分析しまくったんですね。
そしたら、「あ、こういうことがおれやりたいのか」とわかってきて。

それ以降、お金に引きずり回されてツライ思いをすることはなくなりました。
なにより、やりたいことに向き合えるようになて、人生が充実です。

では、どのようにして自己分析するかってはなしです。

ここに書きましたので、ぜひどうぞ!

(【保存版】自己分析の方法【ネタバレ:質問に答えるだけ】)(準備中)



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「未来を感じられない。毎日たのしくない」
「なんのために生きているのか分からない」

そんなふうに思うこと、ありませんか?




どうしたら、人生を充実させて幸せに生きることができるのか。


ぼくはずっとずっと、ずっと考えてきました。


考えもしたし、行動もした。
そのために、本もたくさん読んだ。


そしたら、「いかにして生きれば人生を充実させることができるのか」が分かるようになりました。



そこで今回、
人生の充実化をテーマにした無料のLINE講座をひらくことにしました。


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【P.S.】

ところでぼくは、高校生のときまで常に自信がなく、誰かにしたがわないと生きていけませんでした。

ただ、誰かの命令に従うことは苦痛でした。 ストレスでしょっちゅう口内炎ができてた。

こんな人生やだ。
じぶんの力で生きたい。
独力で生きる自信がほしい。

大学生になって本を読みまくってマインドを育てまくった。 さらに、じっさいに行動もした。 だれかに頼らず。

その結果、「自分の力でなんとでも生きていける」という自信を持ちはじめ、

・ストレスフリー
・人生無敵

な感覚を手にすることができました。

もちろん、これからも誰にも自分の人生を邪魔させないよう、圧倒的な独立心を高めていきます。

  • どのようなマインドが人生において苦痛になるのか。
  • 逆に、どのようにして自由になることができるのか
  • どのようにすれば幸せな人生になるのか?

そんなヒントが得られるぼくのストーリーはコチラから

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