疑うクセをつけると、自分らしく生きられるようになります。頭を働かせる勇気をもつことは、自分が想うように生きられるようになるカギです。
さらに、自分がどんな人間であるのか明確になっていると、いざというときにどう動けば良いのかが分かります。
ぼくとしては、もっと早くに先入観を疑って自分軸を明確にしておきたかったな、とおもってます。
すこし、自分語りを。
小学生のころから宇宙がすきで、ぼくは天文学者になりたかった。
高校生のときにふと進路を考えていたとき「好きなことにずっとふれられていたらな」という想いから天文学者になろうとする。
さて、大学入試。
ここで、名古屋大学理学部への推薦があることを知る。
名古屋大学には宇宙物理に関する研究室が多くあり、ぼくにとってはあこがれの大学であった。
だが、「推薦入試は大変だ」というナゾの先入観。そして、推薦入試があることを知ったのが2日前。
どっ、どうしよう。
でも、推薦入試のために小論文かいたり面接の練習するよりも、筆記試験の勉強をしたほうがいいのではないか?
もし推薦おちたら他の人と差をあけられてしまうぞ。
ということで、ぼくは推薦入試をしなかったのです。
でも、やはり推薦入試をうけるべきだったとおもっているのは事実です。
「本当に推薦入試は大変なのか?」と疑い、「おれはなにがなんでも自分をつらぬくんだ!」という価値観を明確にしておけば、やらないことによる後悔をなくせたのにな、と。
目次
疑うことの大切さ
欅坂46の曲『ガラスを割れ!』にはこのような歌詞があります。
想像のガラスを割れ!
思い込んでいるだけ Oh!Oh!
やる前からあきらめるなよ
おまえはもっとおまえらしく生きろ!
欅坂46の曲は強いメッセージをよく与えるので「たしかに、想像のガラスをやぶって自分らしく生きなきゃ」と思わされるでしょう。
しかし、同時に「じゃあ、どうやって想像のガラス、つまり思い込みをとっぱらって自分らしくいきればいいのだ?」と思うことでしょう。
まず、周りの環境に支配されていることに気がつくことが必要です。
自分がふだん見聞きしている情報が思考となり、行動につながるからです。
小学生のとき、ぼくは母に「朝にサルという言葉を言ってはいけない」と言われていました。
冷静に考えると、ナゾです。ナゾすぎです。
はあ?どこからそんな考えが出てくるんだよ・・・。いまではそうおもっています。
しかし、当時は本気で鵜呑みにしていたのです(!)。
よってぼくは、「ああ、朝にサルって言ってはいけないんだな」と考えることになりました。もし「サル」という言葉をつかってしまったら、母に手の甲を叩かれることになっていました。
どうやら、祖母がニュースを見ていて、事故で死んだ子供が朝に「サル」といっていたようで。
そこから祖母は「朝にサルという言葉をつかってはいけない」ということを考えたそうです。
それをぼくの母に伝え、さらに母がぼくに「朝にサルと言ってはいけない」という教えをすることになりました。
今では「朝にサルと言ってはいけないの根拠なんてない」と考えられているのでなんとも思っていませんが、それでも朝に「サル」と言うことは今でも抵抗があります。
このように、情報は思考をつくり、行動へとつながります。
「ねごと」というバンドがつくった曲『シグナル』にはこんなことが書かれています。
ぽつりぽつり降り出した
雨は世界の音を消して
きらりきらり煌めいた
景色もそっと鎮めてしまう
いつのときも始まりは
青く青く美しいもの
先へ進めなくなるの
シグナルが滲んでゆく
大学入学式。「よし、勉強しまくって、それこそ夜まで図書館にこもろう!」「おもしろそうな授業をとりまくろう!」と精を出す。
しかし、勉強はつまらなくなる。
まわりはだれも勉強をせず、遊んでいる。
自分も、夜中に音楽をスピーカーからならしてみたりする。いつも同じ曲だ。なにをやっているのか、なんのためにやっているのか分からない。
なぜ生きるのか、なんのために生きるのか。シグナルが、にじむ。
シグナルを、にじませてはいけない。
そのためには、”雨音”を消さなければいけません。
しかし、雨だなんて、自然の営み。一人の人間の力で、どうやって消すというのでしょう。
これはもう、雨から逃げるしかありません。つまり、今いる環境から逃げなければいけない。
しかし、一度ふきこまれた情報を、いまいる環境において疑って出ることは難しいです。
自分のいる環境にいるからこそ、情報が入りこみ、行動を支配されているからです。
いまいる環境下でうたがいたいけど、先入観-事前情報-があってうたがうことが難しい。う~ん・・・。
イドラについての説明
そもそも、先入観にはどのような種類があるのでしょうか?
この先入観の種類をしっておけば、どのような点で疑えるのかの手がかりがつかめるとぼくは考えます。
思考のフレーム、といったところでしょうか。
あなたの家にも、洗面台まわりにカゴや棚があるとおもいます。
そのような入れ物があってこそ、洗剤や柔軟剤・洗顔などの日用品が散乱されずにきれいに片付いているのです。
思考も同じです。ある種のフレームにしたがうほうが、思考がちらばらなくて考えやすいとぼくはおもうのです。
ここで、哲学者「ベーコン」のイドラ論を紹介します。
彼は、思考の面で改革をおこなうさい、先入観(イドラ)を拭い取ることが必要だ、ということを唱えました。
そして、彼の言うイドラとは、以下の4つです。
- 種族のイドラ
- 洞窟のイドラ
- 市場のイドラ
- 劇場のイドラ
順に追って説明します。
種族のイドラ
「種族のイドラ」とは、自分が見たままに判断することによる先入観のことです。
たとえば、月を地球上からながめて「月の大きさは手でつかめるくらいのおおきさなんだな」と考えてしまうことです。
地球と月は約30万kmはなれているので、遠近法によって小さく見えているだけです。そのことを無視して本当に月が手に収まるような大きさでしかないというのは大きな誤りです。
洞窟のイドラ
「洞窟のイドラ」とは、個人の性格や受けてきた教育、経験などによる先入観のことです。
先ほど紹介した「朝にサルという言葉を言ってはいけない」という教えによってサルという言葉を午前中に使ってはいけないという考えは、洞窟のイドラにおちいったものと言えます。
市場のイドラ
「市場のイドラ」とは、コミュニケーションから発生する先入観です。
ネット上のデマであるとか、うわさ話であるとか。または、言葉はおなじでも、思い浮かべていることは違っていたことによる間違いとか。
どれも根拠がないものであるため、確認せずにだれかの話を信じてしまえばそれは先入観となってしまいます。
劇場のイドラ
「劇場のイドラ」とは、権威者による発言や伝統、間違った学説などを無意識にのみ込むことによる先入観です。
古くからそこにあるヒトやモノを信用してしまうことによる先入観です。
以上、ベーコンが考えた4種類の先入観をあたまに入れておくことで、自分の持っている情報を疑い、客観的に判断することができます。
これ、ぼくが小学生のときにしっておけばなー、なんておもってます。
そう、さっきの「朝にサルと言ってはいけない」のはなしです。
親からの教えをそのまま鵜呑みにするという、おもいっきり「洞窟のイドラ」にかかっていました・・・。
おかげで、ぼくは朝にサルと言う自由をうばわれることになりました。
あるいは、推薦入試前にしっておけば、「市場のイドラ」にかかっていたことに気づけていたのかもしれないな、と。
疑えなかったことを悔やんでいます。
「自分とは何者か?」と考えることの大切さ
ただ、先入観を疑うだけというのは、閉じ込められた部屋から脱出するためのカギは手に入れただけのようなものです。
まわりの友達がやっているからと言って、おなじことをする。それを疑えたのはよろしい。
でもさ、「おれはここからどうやってうごけばいいのだ?」ってなるでしょう?
指針がないから。いままでまわりの基準でうごいていたから、いきなり基準を手放すと、どうしたらいいのかわからなくなる。
ということで、自己分析をするのです。
ぼくは、自己分析をやったおかげで自分がどこに進めば人生を充実したものにできるのかのコンパスを手に入れらました。
おかげで、進路について自身を持って考えることができるようになりました。
すくなくとも、「おれはどう生きたらいいのだろうか」と悩むことはとても減りました。
では、どのように自己分析をすればよいのか。
ぼくはこの本で自己分析をしました。
これは、SHOWROOMの前田裕二社長が書いた本で、発売から約1ヶ月くらいで20万部を突破したとのこと。
この本、前田社長がじっさいに大学生のときに自己分析につかった質問が巻末にのっていまして、ぼくはこれをやりました。
1000問ありますが、すべてやらなくても自分の軸(自分にとって、人生において進むとよい方角)がみつかれば良いと書いてあります。
ちなみに、ぼくは今現在500問くらいやりました。軸は250問くらいやったところで固まってきました。それでも、「まだまだ自分をほり下げたい!」というおもいがあるのでやっています。
「どのように本『メモの魔力』をつかって自己分析をやったのか」についてはまた後日ブログに書きます。
自己分析をすることによって、自分の軸がわかる。すると、自分オリジナルな生き方ができます。
というのも、自分軸がわかっているときに「私のような人は、こういう状況ではどうするべきか」を考えることで、リスクをすすんでおかすことができるからです。
これを「妥当性の理論」と呼ぶことにします。
これとは反対に「結果の理論」と呼べるものがあります。
これは、「どう行動すれば最高の結果が得られるだろうか」と考えることです。
「結果の理論」で考えると、リスクを負うべきではない事情がみつかってしまいます。
結果的にまわりと同じことをするハメになり、自分らしい生き方になることはありません。
一方、「妥当性の理論」で考えることは「自分はどうするべきか」と考えることです。
よって、理屈抜きで行動できるので、自分にとってより良い生き方になります。
先入観を疑って自分軸をみつける。これだけで、自分らしい生き方、もっと言えば自分にとっての「なぜ生きるのか」を見いだすことにつながります。後悔を最小限におさえることができます。
ちなみに、老人で死ぬ直前の人々にアンケートして一番多いのがやった後悔よりもやらなかった後悔だそうで。
ぼくは死ぬ直前に「やればよかった」と後悔するのはもう絶対にいやです。
だからこそ、常に情報は疑い、自己分析をして自分軸を固めようとおもうにいたっているのです。
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ただ、誰かの命令に従うことは苦痛でした。 ストレスでしょっちゅう口内炎ができてた。
こんな人生やだ。 じぶんの力で生きたい。 独力で生きる自信がほしい。
大学生になって本を読みまくってマインドを育てまくった。 さらに、じっさいに行動もした。 だれかに頼らず。
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