アプリオリな認識の特徴と分析―『純粋理性批判』

今回読んだ本;純粋理性批判(光文社古典新訳文庫)

今回読んだ箇所;p.19-p.30(段落005-010),p.282-290


(哲学は、ムズカシイなあ。)

 

今回は、アプリオリな認識の〈分類〉についてです。よって、認識を論じるための下準備、といったところでしょう。

 

カントはアプリオリな認識を「相対的なアプリオリの認識」と「絶対的なアプリオリの認識」に分け、さらに「絶対的なアプリオリの認識」を「純粋にアプリオリな認識」と「純粋でないアプリオリな認識」に分けました。

 

では、これらは何が違うのでしょうか?

 

「相対的なアプリオリの認識」というのは、ざっくりいうと「経験則」、ということです。

つまり、経験をして知ったうえでの認識、ということです。

 

今回読んだ中にあった具体例を、まねして説明します。

 

ガスコンロで加熱したフライパンに、卵を割って中身を落としてみましょう。

どうなると思いますか?

・・・・・

・・・・・

分かりますね。そう、焼けます(笑)。

では、なぜ「焼ける」と断言できるのでしょうか?

そう、あらかじめ「卵を火にかけると焼ける」という「経験」をしているからです。

 

フライパンに卵を落とす前から、すでに「経験」によって焼けることが分かっている。

これが、「相対的なアプリオリの認識」です。

 

 

次に、「絶対にアプリオリな認識」についてです。

これは、「相対的なアプリオリな認識」とは逆で、経験を必要としないアプリオリな認識のことです。

 

その「絶対にアプリオリな認識」のうち、「純粋でないアプリオリな認識」で、カントはこのように述べています。

 

たとえば「すべての変化にはその原因がある」という命題はアプリオリな命題であるが、純粋な命題ではない。変化という概念は、経験からしか引きだせないものだからである。

 

ここで、「ああ、なるほど」と思えればいいのですが、ぼくは思いませんでしたね。だって、「経験」にまだもとづいているいじょう、それは「相対的なアプリオリな認識」でいいのではないか?と思うのです。

まあ、このアプリオリな認識の分類方法はカントが決めたことなので、なぜこの分類方法なのかは、『純粋理性批判』を読み進めていけば分かるかな、とおもっています。

 

 

ちなみに、これ、「一人読書会」なので、分かって理解したことのみならず、分からないことや疑問に思ったことも、積極的にシェアしていきます。

これを読んでくださっているあなたにも、ぜひとも考えて欲しいと思っているからです。そして、考える喜びを分かち合いたいのです!(理想だけどね)

 

 

はなしを戻します。

 

「絶対的なアプリオリな認識」のうちのもう一つのほう、「純粋にアプリオリな認識」についてです。

 

これは、解説に例が載っていたので、その解説を解説する形にします。

 

「物体は広がりをもつ」

どうでしょう。つまり、物体があることは、それに合う空間を占めているということです。

これは、「物体」という概念を考えれば、必然的に「広がりをもつ」という事実が導けるという意味で、「純粋にアプリオリな認識」だそうです。

 

うーん、その物体を「経験」しているから「広がりをもつ」と言えるのではないか?とぼくは思ってしまったのですが、あなたは腑に落ちましたか?この例を。

 

うん、哲学はムズカシイ!(で、諦めるなよ~)

 

 

では、また次回!

 

 

【ボヤキ】

今回は時間をかけて書いてしまいましたが、本当はもっと時間を短くして書きたいんですよね。あんまダラダラ書いても効率悪いだけですし。